人生10回に満たない、お能の鑑賞をしてきました。
能の “の” の字も分からないのに、
能楽堂に入ると気持ちが落ち着く辺り、私はやっぱりDNAが日本人だと安心しました。
(よくご出身はハワイ?インド?と言われますが私は山形出身!親戚に外国人1人もいません)
舞台の方は、またまた、自我流で鑑賞。
ものぐさで知識が面倒で仕方ないので、最初はいつも自分の感覚で観ます。
あらすじをサーッと読んだら、ただ観る。
ヨガをやっていると、真実を見る目が養われるから、
最初からいろいろと分かることもあります。
能の台詞は外国語並みに、意味がチンプンカンプンなのですが、
結論、台詞も分からなくていいんじゃないかと思いました。
お能を大衆文化から芸術へ仕立て上げた、世阿弥は型を大事にしました。
日本文化と言われる、茶道、華道、柔道、弓道……道の付くもの、型ありきです。
型をきちんと行なうと、どんな人でも、どんな場所でも、どんな時代でも、
同じ空気、雰囲気、秩序がそこに流れます。
それが伝統であり、受け継ぐものであり、精神性であるなら、
細かいところはとりあえず気にしないでおこうということになりました。
今回観た演目は、
狂言「腰祈(こしいのり)」
能「頼政」
「頼政」は平家物語による、世阿弥作の修羅能です。
平家に破れた源頼政の霊が、旅僧に、戦の有様や自害の最後を語ります。
怨霊の頼政が舞うあたり、おどろおどろしさに圧倒されましたが、
それより感動したのは、旅僧の平然とした威厳です。
気味の悪い頼政を目の前に、ちっとも動揺がないのです。
ただそこに居るだけ。旅僧の在り方が実に素晴らしかった。
本当は私は、旅僧が出てきた瞬間から感動したのです。
歩いている様、セリフを唄う様、表情なんて埴輪のように口がかすかに開いて目が点だったのです。
演じている本人は無そのものだと分かりました。
舞台にあったのは、世阿弥が決めたであろう型と世阿弥が狙った舞台の空気感だと思うと、
旅僧の役者にあっぱれでした。
ゆくゆくは、シテとワキのことや能の知識など、きっと知りたくなるでしょうが、
まずは飽きがくるまで、独自流の鑑賞を楽しんでいきたいと思っています。
私の超個人的な鑑賞例ですので、そのあたりご勘弁を。
まだ何も知らないまっさらな状態を楽しむのはおすすめです。
考えや知識に邪魔されない、無心の状態で観ることができます。
自分の体験と本に書いてあることが違うと、
自分が間違っているのではと、体験をないがしろにしてしまう人が多いですが、
勿体ないです!むしろ、自分の体験の方が真実なのです。
本を書いた人が持ち得ない感性が自分にはあると認めたり、
しきたりや伝統を越えた自分の解釈を受け入れたり、
いくら占い師に言われても、当てはまらない自分の性質があると考えてみたり、
自分の感覚を大事にすると、何に対しても、本音で対話することができます。
日々、充実感たっぷりですよー。
(ちなみに世間体を気にするのはもっとも損。
世間は大衆文化と同じで、何となく形になっているもので、
世間を作った張本人はどこにもいません!)
そんなわけで、こちらはお能の定期公演に来月も行ってきまーす!
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