以前、ヨガクラスで、
美しい「花」がある、
「花」の美しさという様なものはない。
という言葉を紹介しました。
白洲正子さんが小林秀雄さんと対談している文中で知ったので、
当初は、青山二郎氏の名言だったのだろうと想像していました。
しかし、実際は、小林秀雄さんの「当麻」(写真の本の中に収められています)
という作品の中の言葉でした。
文中では、お能の話を取り上げて、
「花」の観念の曖昧さについて頭を悩ます美学者は、
化かされているにすぎないと述べています。
芸術品を見て、目に見えないものをつかんでやろうというのは、
夢見がちな少女と変わらないということだそうです。
そして、肉体の動きに則って観念の動きを修正をする方がいいと言っています。
お能も、ヨガに通じていると感じます。
あれこれ頭で悩むよりも、正しく体を動かした方が先決です。
正しい行ないをすれば、正しい考え方を宿すことができます。
行動には内面が現れているし、内面は行動の積み重ねによって決まります。
スワミヴィヴェーカナンダは、性格は行動の積み重ねだと言いました。
性格を変えたいなら、行動を変えればいいということです。
世間で素晴らしいと言われているものが本当に素晴らしいかどうかは、
実際に自分で見なければ分からないと思います。
完璧な芸術品は、そのものだけで自己完結しています。
そこには美しい形があるだけで、他に美しい理由はありません。
そして、自分はじっとここにいて、自分の中に美しい形を探すのです。
これが本当の鑑賞だと思います。
小林氏の言う、じっと待っていれば芸術品の方から話しかけてくれる、ということでしょう。
世間の評価に流されないで、自分の審美眼を磨くということは、楽に生きる方法です。
そうすると、いかに私は宣伝PRにだまされていたかにも、愕然となります。
早く気づいて良かったと思います。
美しい「花」がある、
「花」の美しさという様なものはない。
お能に限らず、自然の原理です。