よやくヨガの論文を書き終え、ホッと一息。
ところがどっこい、今度は産經新聞「くらしの百科」の原稿書きが待っていました。
論文は大学の頃から結構好き。
理系の論文はデータ処理など私には無理〜と思いますが、
文系の論文って持論を展開できるからどんどん書けちゃう。
でもいくら好きなことだと言っても、行き詰まるときは行き詰まります。
行き詰まったとき、私には向いていない〜と諦めてしまうか、
または上手く気分転換して続けられるか、それが得意不得意の差。
結局、能力って続ける力です。
さて、私は、今回の論文書き、何で気分転換をしたでしょう。
大学のときは、行き詰まると、食べました。食べるの大好き人間だから、
美味しいレシピを作っちゃ食べ、美味しいお店に行っては食べ、
論文テーマ美術教育の他にも、料理についても詳しくなっちゃった。
ところが!今回は、食には求めませんでした。
芸術のエネルギーをたくさんもらって乗り切りました!
白洲正子先生は生前、「美しいものを見ないと書く気が起きない」と言っていたらしいです。
さすが崇高な人は違うな〜と思っていたのです。
ところが、いざ、やってみると、本当!
美しいもの、自分を追求した人の作品に触れると、触発されちゃって、
自分がどんどん出てくるんです。私でもそうだから、誰でもそうだと思う。
もし、何かに行き詰まったら、その方向の最高のものに触れるのは、おすすめ!
目標にもなるし、あ、この感覚、今のわたしにもっと必要だと気づけます。
そんなわけで、論文書いちゃ美術展、論文書いちゃ美術展と、
日々、都内を小旅行しながら、書き終えることができました。それは充実した時間だったなー。
いろいろ行った中でおもしろかったのは、「白隠展」と「円空展」。
白隠は江戸時代に廃れていた臨済宗を復活させた僧。
“15歳で出家して諸国を行脚して修行を重ね、24歳の時に鐘の音を聞いて悟りを開くも満足せず、修行を続け、”
というプロフィールに共感しました。
ヨガもそうだから。いくら瞑想でサマディ(三昧)に達して宇宙と繋がっても、
ずっと維持するのは難しいのです。一時の悟りなら比較的簡単に開けると思います。
そんな白隠は水墨画を一万点以上も書いたのです。
筆遣いといい、構図といい、白隠流。
侘び寂びを思わせる水墨画とは正反対。実にマンガちっく、デザイン性溢れるものです。
それなのに、絵に書き入れられた文章や教えは大真面目。
はちゃめちゃでもいいじゃん、元気とパワーがあれば、そんな感じです。
白隠の絵を見ていたら、上手く書こう、世間受けするように書こうとするから
進まなくなるんだーと勇気づけられ、論文書きがはかどりました。
次に紹介したいのは、「円空展」
円空も江戸時代の行脚僧で、全国に約5350体の木彫りを残しました。
行脚しながら、その土地の木で彫ったので、全国あちこちに残っているのです。
作品の数を聞いただけでも、エネルギーを感じます。
それを目の前にして、もっとエネルギーをもらいました。
木彫りは主に仏像を彫っていました。こけしの名残だと思うのですが、
曲がりくねった天然木でさえ、円空にかかれば、素朴な仏像となって命現れるのです。
天然木の荒々しさと円空の創作性が融合されて、畏しささえ感じました。
白隠と同じく、量が質を超えた作品群でした。
量を作れば作るほど、自然の成り行きで良質になっていくのです。
最初の話に戻りますが、続ければ続けるほど、何でも研ぎ澄まされていくものなのです。
そこには理論は一切無し。お能を理解するには黙って1,000本見よという言葉もあるそうです。
何かを成し遂げたい、本当に理解したいと思ったら、
頭であれこれ考えるより、体験する方が近道。
近道というか、それしか方法はないんです。
だから、やりたいことがあるなら早くやったもの勝ち。
好きこそものの上手あれ。好きならずっと続けられるからです。
好きなことの苦しみさえも、楽しく感じられたら、自分にとって本物です。
私はやっぱりヨガだなーとしみじみ。
だから、論文書きの行き詰まりも可愛いものでした。
壁にぶち当たったら思い出してみてくださいねー
皆さんのやっていることがうまくいきますように!
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