北京に残る今はもう少なくなった胡同(フートン)。
北京オリンピック前はまだまだ古い街並みが残っていたようですが、それ以前の北京を知らない私は書籍や写真集を見ながら、北京のむかしに想いを馳せます。
北京を舞台にした映画を観ても、作られたのは10年前くらいであっても今とはまるで違う北京の景色が広がっていたりして、とても驚きます。
東京のこの10年と、北京のこの10年はその発展のスピードがまるで違うように思います。
今すこしだけ残る胡同。
といっても、昔の古い胡同を、「いまどき」に整え直した胡同で、ちょっとしたイベントが行われています。
壁には様々な写真が貼られていて、空の高い北京の秋はとてもいい背景になっています。
古いままの胡同はほとんど残っておらず、たとえばこの胡同は、チベット系のお店が入っていてこんなカラフルに。
比較的古いまま残っていそうなこの通りも、道はきれいにコンクリート整備されているのでどこか新しい感じがします。
このようにいつもどこかで工事され、本当の古いものは壊され、「昔風」にリメイクされていきます。
観光用の人力自転車が胡同を走るけれど、映画や本で見知っているようなそんな本当に古い北京の胡同にはほとんど出会うことができません。
お洒落なお店が軒をつらね、かつては庶民の生活する場所だったところも、着飾った若者で賑わっています。
写真集の中に残る古い胡同を思い出しながら いまの胡同を歩くと、北京の胡同のいまとむかしを行き来しているような不思議な気分になります。
胡同いま、むかし。