とあるカフェにて。
わたしと同世代くらいの中国の若者が集まり、
餃子を作っています。
もちろん皮も自分たちでつくります。
そして餡を詰め、気付けばこんなにたくさん。
古い街の路地裏にあるカフェ。
さすが中国。
若い人たちも器用に餃子を包みます。
ちなみに包み方も日本とは少し違います。
出来上がった餃子を、お湯の中で茹でます。
外は極寒。
カフェの窓は夜露にぬれ、もくもくと情緒的。
日本では焼き餃子が一般的ですが、
中国で「餃子(ジャオズ)」と言えば、茹でた餃子のことを言います。
焼き餃子はめったに目にしません。
日本のみなさんからは、
よく北京で暮らしているね。とか、今大丈夫なの? とか、いろいろと心配の声を頂きます。
国と国の問題はさておき、
こうやって若い者同士、日本も中国もまるで関係なく餃子を包み、そして一緒に食べる、
どうしてこういうことがニュースでは流れず、
悪いイメージばかりが映像に乗り続けるのでしょう。
北京で、日中の報道関係者の方々と知り合うことがありますが、
どこか違和感を感じながらの報道。日本も中国も個人レベルではそう。
ここ北京で生活しているから色眼鏡で美しい北京ばかりを見ているのかもしれませんが、
愉快すぎるほど北京の冬は寒く、
ここの人たちはとても単純明快な性格をしていて、
これが大陸独特の気候と人間性なのだろうか、と考えます。
そして、日本がほんとに小さな島国であるということを、心から実感します。
もちろんそれは悪い意味ではなく。
島国だからこそ、その中で通じる共通の価値観というもの、
日本人独特の美徳、価値観、モノの言い方、
それをここ中国で繰り広げようとしてもうまく伝わりません。
「はっきりは言わないけれど、なんとなく意を汲んでくださいね」
と、いうことが通用しないこの国。
ストレートにモノを言うことが求められ、
それゆえ、ストレートに思考し、感情を動かすことが必要になります。
日本人から見ると、少し刺々しいくらいのストレートさ。
「あなたの言っていることは分かるけれど、
本音はどこにあるの?」
とは最近、中国人の友人から投げかけられた言葉。
日本人的に、やんわり意を汲んでもらおうと投げた言葉。
その言葉がたとえ伝わったとしても、
だから本当は何が言いたいのか、結論は何なのか、
それを問われます。
ストレートに考え、ストレートに感情を動かし、ストレートに言葉を発する。
日々、勉強です。
餃子を包みながら考えた、そんなとりとめもないこと。
国としての日本と中国ではなく、
人としての、日本人と中国人のこと。