雨の降る北京の六月。
カフェの窓の外の雨降りを眺めながら、ふと刹那的な気分になります。
「刹那」ということば。
今、この瞬間が楽しければ、それで良い、という意味もありますが、
このネガティブな意味だけではなく、
「とりあえず今できることに全力を尽くす」という意味もあります。
どこか遠いところへ旅をしたとき。
旅先のカフェで、
旅先の街角の広告の前で、
ふと刹那的な気分、
まるで止まり木の上でふっと飛ぶのを忘れるかのように羽を休める鳥のような、
そんな気分になることがあります。
海外で生活をしていると、
そこに生活はありながらも、
どこか長い旅をしているような心地になります。
特にこんな雨降る六月の朝は、
長い長い旅の中で、ふと歩みも感情も止まったかのような、
そんな刹那的な瞬間を身近に感じます。
「刹那」の対義語は「永劫」だそう。
刹那があり永劫があり、人の道ができていくのでしょう。
季節がうつり変わりゆくのを数えて年を重ねてゆく。
昨日誰かに手をふったかと思うと、
明日まだ誰かと出会う。
北京の六月は、季節の交差点。
momentary Beijing .