BONJOUR!
賽銭箱泥棒…
日本でも時々耳にしたこの言葉。
まさか神聖な教会の中で現行犯を目撃するとは思ってもいませんでした。
ヨーロッパの教会には、お金を募金して蝋燭に火を灯すという習慣があります。
貯金箱のような賽銭箱もあるけれど、ただの箱や籠の場合もあります。
ここの教会は、まさにその籠のような募金箱でした。
家族連れや常連っぽい信者たちが次々とお金を入れて蝋燭に火を灯していました。
そして、その人たちが外へ出ると、奥の祈祷室のようなところにいた男性が、
籠に入っているお金を盗み取ります。
そして、また信者たちが入ってくると男性は奥の祈祷室に入り祈るふりをします。
この行為を数十分繰り返した後、男性は教会から足早に出て行きました。
まさにその現場を見てしまった私は、男性から目が離せませんでした。
注意することだってできたし、教会の管理人に言いつけることだってできたはず。
でも私には何もできませんでした。
何もする権利がないと思ったからです。
神は人は皆罪人だと言い、全ての人の罪を背負って十字架にかけられました。
私の中で教会は無法地帯なのです。
そこでは、罰するのも許すのも神の御心。
そうはいうものの、私はキリスト教信者でもないし、
日本で生まれ韓国で教育を受けた私は列記としたアジア人の心を持っているので、
「罪は憎めど人を憎まず」という言葉にはどうしても納得がいきません。
いつか神の天罰が下りますように…
そう考えてしまう私はやはり罪人なのでしょうね。
人の罪を「許す」って本当に難しいことです。
自分の中のすべての執着と欲を捨てないとできないことだと思います。
ステンドグラスの優しい光が差し込む教会の中
「彼はきっと自分のしていることがわかっていないだけ」
そう思えるように懸命に自分に言い聞かせている私がいました。