北京から高速鉄道で30分、天津。
天津は、周恩来が学校に通ったゆかりの場所でもあります。

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周恩来は中華人民共和国が建国された1949年から死去するまで一貫して政務院総理・国務院総理(首相)を務めた人物。
1972年に、日本の田中角栄首相(当時)と日中共同声明に調印したことでも知られています。

ここ天津にある彼の記念館。
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記念館の中は中国の人たちで溢れています。
当時国民に愛された周恩来ですが、
その人気は今でも相当のものではないでしょうか。
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専用機も公開されていました。
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専用機の内部。
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周恩来とアメリカのニクソン大統領。
彼はニクソン大統領の訪中を成功させ、アメリカとの国交正常化交渉を前進させました。1972年のことです。

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さらにこの年、訪中した日本国内閣総理大臣田中角栄と数度にわたる交渉に臨み、日中共同声明に調印して日本との国交正常化を実現させました。
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そして晩年の毛沢東と周恩来の写真。
この写真が2人が共に写る最後の写真と言われています。
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周恩来の外交手腕やその人柄を高く評価する人は数知れず。
1972年のニクソン大統領訪中のお膳立てをしたキッシンジャーは、周恩来を「今までに会った中で最も深い感銘を受けた人物」の一人に数え、「上品で、とてつもなく忍耐強く、並々ならぬ知性をそなえた繊細な人物」と評しています。

その人柄を表すような慈愛に満ちた表情を浮かべる写真が数多く飾られているこの記念館。
とても楽しく過ごせました。

天津のみならず、日本へも留学経験がある周恩来。
中国のいろんな土地、そして世界各国を歩きながら、
どのような思想と思考を巡らせていたのでしょう。

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とはいえ、多感な時代を過ごしたここ天津。
特別な場所であるのは間違いありません。

 

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【中国】美的中国手帖~大きな国の路地裏シャングリラだより [更新終了]

中国・北京在住レポーターから届く朝時間 [更新終了]
Written by

麻友子(中国在住)

(中国・北京滞在中)
住めば都、中国からの朝だより。カラープラクティショナー。China-Color に満ちたレトロモーニング風景をお送りします。

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